歴史教室は相変わらず、ゆっくりと進んでいます~
今回は室町幕府について少し学びました
1 南北朝の合一
南北朝時代のゴタゴタがあって
室町時代が一体どこからはじまるのかはっきりしないので
長男は南北朝時代について、良い感情を持っていないようです
足利義満の登場で、ようやく南朝と北朝が合一されると
「60年も戦う意味なんてなかったのに」となんだか恨み節?
長男の言い分として補足説明すると・・・
「結局合一するなら、戦わなくても良かったのに」ということらしいです
歴史教室というよりも、道徳みたいな内容になっちゃいますが
60年の長きに渡って、命をかけて戦ってきた人たちの思いを想像し
理解しようと考えてみました
「無駄なことだなんて言ってはいけない」
私が伝えたのは結局のところ
これだけですが、長男はどう理解しただろう
歴史を勉強するときによく感じるのは
現代との価値観の違いがありすぎて、当時のことがよくわからない
一見、無駄としか思えないことに執着している
当時の人々を理解できず
それらの行為を軽んじてしまいたくなること
だから
南朝と北朝に分かれて戦ったことそのものが
よくわからないなら
置き換えて考えてみるしかありません
例えば、日本と北朝鮮が合一をかけて
戦うことになったとしたらどうか?
これは、大問題ですね
子どもに理解させるためには
現代の事柄と置き換えて説明してみるしかありません
長男は、ひとまず理解してくれたようです
2 足利義満が太政大臣になった件
義満が第3代の将軍になってから、息子の義持に将軍の座を譲り
自身は太政大臣になったいきさつについて
そのとどまるところを知らない野望に、うちの長男は少々引き気味^^
公家の頂点に立ち、息子を使って天皇家さえも支配しようとした義満に
恐怖を感じるほどでした
結局、その野望が実現する前に義満は死んでしまったので
息子の義嗣が天皇になることはありませんでしたが
あのまま義満が健在だったら、間違いなく歴史は変わっていましたね
そう思うと、不思議な気持ちになりますね
今の私たちも、今のようではなかっただろうから・・・
長男は、どんな人でも最後には死ぬ
ということに何かを感じているようでした
「死んでしまったら、太政大臣になったことも終わる」
いくら栄華を極めても、死んでしまったらそこで終わる
そういうことを考えているようでした
長男にとって歴史の勉強は、人の生き方をたどること
その生き方をした結果、どうなったかを確認することでもあるようです
そして、自分ならどんな生き方がしたいのか
いつも、それを考えているようです
教科書に載っている程度の情報では、その人の人生のほんの一部分しか
知ることにならないけれど、それでも長男にとっては
人生のひとつの良い例になっているようです
私にとって歴史の勉強は、受験のためだけでした
長男に歴史を教えているのも
いつかやってくる受験勉強のためです
でも、そういうことと関係なく、ただ楽しみのため
自分の人生を考えるためのものとして
純粋に歴史を学べる長男が
少しうらやましい気がします
勉強って、きっと実際にはそういうものですよね
小学生の間しか、そういう学び方はできないのかもしれないけれど
できる間は、一緒に人生を考えるつもりで
付き合っていきたいなと思います^^
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