いよいよ、本格的に聖徳太子について学びました
1 聖徳太子のめざしたもの
聖徳太子が、なぜこれほど現代でも慕われているのか
少しわかりました
聖徳太子の道徳観が現代のものとよく合うからなんですね
たとえば、家柄よりも能力や実績を重んじるところや
礼を重んじるところなど………
というよりも
図鑑にも記載されていましたが
「太子の考えは、後の日本人の精神に大きな影響を与え」たのだと思います
これは、すごいことです
聖徳太子が生きたのは、574年~622年
大昔です
太子の定めた十七条憲法も、日本書紀に記載されているとほど古い
それなのに
その太子の理想とした精神が、現代の日本人に受け継がれているとは
まさに偉人ですね
優れたものは、時代を経ても受け継がれていくのですね
2 遣隋使
次に、アジア情勢の関係から、遣隋使が派遣されました
有名な小野妹子さんですね
妹子さんは、最初の遣隋使ではなくて
二回目の遣隋使に抜擢されたということです
彼は中央ではなく地方の豪族だったということで
ここでも、能力重視の冠位十二階の制度に則っていますね
当然のように、能力のある、妹子さんは活躍します
隋の皇帝からの高圧的な返書を、帰国途中で奪われたことにして
倭と隋の関係悪化を食い止めたということです
自身は島流しの刑に処されることをも厭わずに
しかし、それ以上にこの時代は賢者がそろっていたのですね
時の天皇、推古天皇は事情を察して妹子を罰することはせずに
再び、遣隋使として起用しています
かしこい女性です
3 太子信仰
聖徳太子は622年に亡くなっています
世の中にはびこる嘘偽りを嘆きながら、仏のみが真実だと
最後の言葉を残して亡くなったということです
太子は、死後、聖人としてまつられ
現代でも、いろんなところに太子堂があるとのこと
確かに、伝説の人ですからね
4 歴史教室終了後
息子は、聖徳太子の話をしても
特に感銘を受けた様子はありませんでした
それよりも、遣隋使を送るなどの
隋や、朝鮮半島との駆け引きに嫌悪感を感じているようでした
たしかに
汚くも見える駆け引きです
でも
現代でも諸外国との駆け引きは、同じようなレベルで行われています
そんな事情をまだわかっていない息子は
真実を知った日には
偉い人たち、大人全体に幻滅するのかもしれません
学校のお友達、皆と仲良くしなさいって言っている大人が
実際に大人の世界でやっていることを見たら
そりゃ、幻滅もしますよね
今後、歴史はこんな駆け引きばかり出てきます
どうやって教えていこうか、悩むところですね…
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