南蛮文化

この、「日本の歴史2」

もう間もなく終わります

よく頑張りました

次の「日本の歴史3」は江戸時代を扱っています

長男は江戸時代を勉強するのがとっても楽しみらしいです

でもその前に

安土桃山時代の終わりです

 

1 外来語の正体を知る

今回、私自身初めて知ったことがいろいろありました

それは、今現在、一般的に使われている外来語

もはや日本語になっている外来語

例えば「カッパ」

他には「パン」

まだまだ、「ビロード」や「タバコ」などなど

本当にたくさんの外来語が

もともとはポルトガル語だったのです

以前から私は、これらの外来語は

英語ではないので不思議だな、と思っていたのですが

今回ようやく謎が解けました

正体は、この安土桃山時代にやってきた

ポルトガル語だったというわけです・・・

正直、驚きました^^

 

2 少年使節のこと

長男が、心惹かれた話題がもうひとつ

それは、ヨーロッパへ行った少年使節のことです

当時、4人の少年が、使節としてヨーロッパを訪れました

1582年2月に長崎を出発した彼らは

3年の歳月をかけて、船でヨーロッパを目指したため

道中はそうとう過酷な旅になったようです

しかし、ヨーロッパについたら

人々から歓迎され、王子様扱いされるなど

注目の的になったそうです

命がけの長旅での苦労が報われた瞬間です

ただし、帰路につくころから苦難が始まりました

少年たちは、1585年3月にローマに着き、1年間

ヨーロッパで過ごしました

1586年4月にリスボンを出発し、日本を目指します

でも、彼らがヨーロッパで過ごしている間に

日本では、豊臣秀吉が天下を取り

キリシタンへの圧迫が強まっていました

まずは、受け入れから拒否され、2年間マカオで足止めされました

結局、長崎へ帰り付いたのは1590年7月でした

8年5か月ぶりの帰国です

でも、苦難はここからでした

4人の少年たちは、それぞれ過酷な運命を遂げます

ひとりは信仰を捨てました

もう一人は、司祭になったものの病死しました

3人目は、マカオに追放され、その地で死にました

最後の一人は1633年に囚われ、長崎で刑にかけられ

殉教しました

彼らの運命を知り、息子は心を痛めていました

息子は、キリスト教の幼稚園に通っていました

信仰していたわけではありませんが

キリスト教の教えに触れ、3年間を過ごしました

だから、キリスト教徒だというだけで

弾圧され、殉教させられることがショックだったようです

 

朝鮮出兵や、キリシタン弾圧などの歴史的事実から

息子は、豊臣秀吉を嫌ってしまいました

気持はよくわかりますね

さあ、次の徳川家康のことはどう思うのか

次の歴史教室での息子の反応が楽しみです

 

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