織田信長の快進撃

ついに織田信長の登場です!

 

1 歴史音痴が「先生」になるとこうなる

何度も告白していますが

私は、歴史音痴です

中学高校時代、全く歴史に興味を持てず

全く勉強せず、しかも受験科目には「世界史」を選択しました

それほど、日本史には興味がなかったし、勉強する意味を感じなかったのです

だから、本当に何も知りませんでした

「織田信長」という名前は知っていても

本当にイメージしか知らなかったし、何をしたのかなんて全く興味がなかった

「桶狭間の戦い」

これだって、聞いたことが或るレベル

誰と誰が戦って、どっちが勝ったかも知らない^^

よくもまぁ、「ママ先生」だの「歴史教室」だの言えるよなぁと

自分でも、笑っちゃいます^^

だからこの「歴史教室」は、自分の子供限定です

よそ様のお子さんに教えられるようなことはひとつもないので^^

ここに記録している内容も、ただ単に自分の為の忘備録

そのくらいのレベルなのに

世界に向けて発信している自分にドン引きです”(-“”-)”

そこらへん、ご了承ください^^

 

2 桶狭間の戦い

信長が名を挙げたのは、なんといってもこの「桶狭間の戦い」でしょうね

これはもう、歴史ファンの皆さんが

聖地を訪れたい気持ちが私にすら理解できます

今川2万5000の大軍相手に、わずか2000の軍勢でどうして勝てたのか?

兵の数については諸説あるようですが

いずれにしても、織田の兵が少数だったことは一致しています

激しい雨の中、不意打ちを狙うなどの記録が残っているので

少ない兵にも関わらず、ものすごい勢いで奇襲をかけたのでしょうね

そして、激しい雨というのは

実は「ひょう」だったのではないかと推測されています

こういう、めったにないような気象条件にひるむことなく

逆にチャンスととらえ、攻撃に出るところなど

織田信長は、常人にはできない判断ができ

優れた戦術を持った人だったのだと思いますね

ただ、その残虐さについては、目を覆いたくなりますね

まさ切れたら何をするかわからないタイプの、やばい人だったのでしょうね

 

3 焼き討ち、皆殺し

桶狭間で快進撃を遂げた信長は

その後も、容赦なく天下統一へ向かって上り続けます

その残虐行為で有名なのが

「比叡山の焼き討ち」ですね

信長の傾向として、一度相手にやられて退いたあとのやり返しが半端ない

徹底的に叩き潰して皆殺しにする勢いです

石山本願寺、浅井・朝倉、比叡山延暦寺は連合して織田を危機に立たせますが

比叡山延暦寺は、その翌年焼き討ちに遭う

浅井・朝倉も室町幕府の滅亡とともに、一気に滅ぼされる

最後に残った石山本願寺については、一揆に加わった人の半数を餓死させ

残りの2万人を焼き殺している

そのあとも一揆に加わった人を何万人も殺し

完膚なきまでに、石山本願寺を叩きのめし

最終的に、石山本願寺の顕如を降伏に追いやった

 

武田軍についても、一度は織田を圧倒した武田は

「長篠の戦い」で鉄砲隊により、織田勢にめっためたにやられる

 

ほんと、怒らせると大変な人だったのがよくわかります

フィギュアスケートの織田信成くんとは、全然印象が違いますね^^

 

ルーツがそこまでわかっているのもしんどいのかなと思いますが

実は私も、このくらいの時代までのルーツはわかっています

歴史的にいろんな表現をされるので

複雑な気持ちになることもあるし

子どもに説明する仕方に迷うこともありますが

今、世界にいる人はみんなこの時代を生き抜いた人たちの子孫なのだから

その時代に、どんな位置にいた人だったとしても

お互い、良く生き抜いたねと、ねぎらい合いたいような気持にもなります

歴史って、本当時空を超えて別の世界に行ける学問ですね

この年になって、面白さがだんだんわかったきました

 

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